森の学び舎(プレ、ようちえん、小学部、中高部)、エコツアーガイドと、幅広く活動する太郎さんですが、その発想の源、原点が気になったのでお聞きしました!
山田「そもそも、太郎さんの今やりたいことが一番の発想って、どこから来ているのですか?」
太郎:僕の原点ですね。それは、小学校6年生から通っていた「レオぽっくる」という体験型の放課後や休日の行く塾です。
山田「ご両親が見つけてこられたのですか?」
太郎:友達に誘われて体験にいったら面白そうだったので、親に言って通わせてもらったんです。
楽しかったですよ。本当にやりたいことをたくさんさせてくれました。
毎月の山登り、化石掘り。
古民家で3食を共にする。
田植え、稲刈り。
山田「まさに、森の学び舎の原型!」
太郎:英語のクラスでは、
実際に使ってみようってことになって
浅草で、外国人つかまえて
境内の隅ですごろくゲームする企画を実行。
当日、大人がお寺に交渉してくれて
境内の隅借りて、
実際に海外の方と会話して、ゲームして
その後、文通しました。
子どもは楽しかったけど、経営はギリギリだったんじゃないかな。
先生というか、「おじさん、おんじ」って呼んでいましたが、
看板屋のバイトしながらだったし、おばさんも保険の外交しながら
夫婦で経営されていました。
二つ上の先輩に
「太郎がついだらいいよ。」
って言われましたが僕はお金で苦労するのは嫌だった(笑)
なのに、結局、似たようなことやってしまいましたが・・・。
山田「その、おじさん先生はどうしてその塾を始めたんでしょうか?」
太郎:最初は上智大学卒業して塾の先生されていたのですが、そこで、詰め込みの勉強より体験が大事だと気付いたみたいですよ。
心の師匠ですね。
でも、メンターとは言わない。
どこまでも、自分のやりたいことをやり続けていたな。幸せな人でした。
わがままな人でしたよ。僕はあそこまでではない。
山田「・・・・(読者様と同じ気持ちで心の中でつっこんでいました)。」
太郎:そこで、一緒に育った仲間がまた、宝物です。まるで、子猫のようにじゃれあって過ごしました。今でも信頼もしているし、仲間の大切さもあそこで学びました。
山田「まるで、今の森の学び舎みたいですね。みんな、自然系のお仕事についたのですか?」
太郎:いや、保育士、サラリーマン、管理栄養士と様々です。でも、会えば、その当時に戻れる。
戻れる場所があるって最高です。
だから、好きなことやっていたら、幸せになるって身をもって知っているんです。だから、今のような事業を、確信を持って起こせました。
実際、前回、お話したように、学び舎の子どももそれを手に入れています。
彼が出来なかったことを僕がやって、彼をくやしがらせるのが人生の目標です。
どこまでも、彼の想像を超えていきたい。
山田「森の学び舎、世界の絶景ツアーガイド、更にまだまだいきますか?」
太郎:今、オルタナティブ・スクールの作り方の問い合わせが多いんです。見学希望者も増えているし。なので、4月から「オルタナティブ・スクール設立サポート講座」をしようかと思っています。
山田「期間とか金額とかどれくらいのイメージですか?」
太郎:半年から11ヶ月くらいかな。月2回で1回の研修費は5500円ぐらいですかね。
教育方針にはじまり、安全管理、決算書もみてもらって経営の詳細、スタッフの研修の仕方。
これを受けてもらって、自分にスクール運営は無理だなって思っても無駄にならないような
金額設定にしています。この内容は普通に他の仕事をする上でも必要なことなので無駄になりませんし。
山田「要望が多いからですか?始めるにあたって想いはありますか?」
太郎:始めるなら、やっぱり、6年はつぶれて欲しくないんですよ。入る子どものためにも。どんなに理想や理念が立派でも、経営の仕方をしらないとお金が回らなくなっていくんです。
山田「子どもたちにやりたいことやらせながら、ちゃんとお金の運営も上手く回る。それを、他の人にも共有していく太郎さんの姿をみて、きっと天国のおじさん、よろこんでくれるでしょうね。」
このブログシリーズは「さつきやま森のようちえん」の元保護者で、太郎旅の参加者でもあるライターの山田詩乃が、読者目線で太郎さんに今、聞きたい事をインタビューし、まとめたものです。
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