前回は、経営者として、新しい改革をすすめているお話をききましたが、
今回は、さつきやま森のようちえんならではの、独特な方針についておききしました。
「森のようちえんでは、喧嘩したとき首から上を攻めてはだめっていう、ルールがあるんですよね?
では、首からは下は、蹴ったりたたいたりしてもいいのですか?」
「首から上というのは比喩で、もちろん、とりかえしのつかない怪我をしそうでしたら、
首から下でも止めます。
ただ、前にもお伝えしたように喧嘩は否定していません。コミュニケーションとして
怒りも出したいだけ出せばいいと思っています。
オルタナティブにもシュタイナー系やいろいろありますが、この森のようちえんは
アクティブ系ではっきりいえば弱肉強食な部分があります。
そこで、子供たちはお互いに試行錯誤しながら弱点を克服し強みに変え、
『生き残る力』を身につけていくのです。
自然界では力の強い者だけが生き残れるわけではありません。
どうすれば、襲われなくてすむのか知っているという方が生き残る知恵として優れている場合もあります。
たとえば、柳は森では生きていけないから、
河原で、時に水に横倒しされても、生き残れる生え方を選択して、強い生命力の象徴として知られています。
そもそも、強いとか弱いとかも見方次第なんです。
人は植物を食べていると思っていますが、植物から見れば、人間のほうが、
植物にかかせない二酸化炭素を生産してくれる存在なんです。
要はバランスです。
日本はオオカミを排除しましたが、そのせいで、鹿が増え、畑を荒らされる被害が増えてしまいました。」
「森のようちえんでは、オオカミも羊も山羊もみんな一緒に遊ぶんですね?」
「はい、オオカミだからといって排除はしません。檻にも入れません。
でも、正直、都会の小さな公園や園舎では、一緒にいるとよくトラブルは起きました。
でも、照乃ゐゑは、大きく、広く、まわりは森です。
自然の持っている力は人間をちっぽけなものにします。
喧嘩して負けて泣いていても、足元には興味を引く虫や花があり、気持ちが切り換えられる癒すものでいっぱいです。
強いものに近づかないでいることも選択できます。力をつけて再チャレンジする子もいます。
喧嘩する声を聞くのが嫌な子もいますが、そういう子は、別の場所でお花を摘んで遊んだりしているのです。
物理的に住み分けができるんです。」
「ある意味ライオンと共存するマサイ族みたいな・・。」
「もちろん、ライオンの近くでは安心して暮らせない人もいます。
日本は幸いにも、公立、私立、他のオルタナティブといろいろあるので、選べるんです。
その選択肢の一つがこの森のようちえんです。そして、ここだから、伸びる子もいるのです。
だからといって、ほったらかしにしているわけではありません。僕たち大人は、そのバランスを見守っているんです。
でも、僕たちも人間だから、判断を間違えることもあります。
今の世の中は、間違えないように、失敗しないように、傷つかないようにが、普通ですが、
ここでは、
子供も、スタッフも保護者もみんな、失敗してもいいし、傷ついてもいいんです。
みんな傷ついています。
傷つくから成長するんです。失敗するからクオリティが上がるんです。
失敗をおそれず、チャレンジするようになります。
苦しいから、あがいて、なんとか、どう抜け出すか必死に考えます。
失敗こそが、人間の最大の武器なんです。
最良の選択をし続けるAIに勝てる武器です。
だから、生き残るために、ここを去る選択も、もちろんアリです。
この場があって、体験できたから、ここではないところを選べるのです。
傷つくのを、そして、傷つけるのを恐れるあまり、我慢して、言わない選択はここでは必要ありません。
不満、不安など、ご父兄には、とことん、なんでも言ってもらいたいと思っています。
すべての去就に一喜一憂する必要はないのです。そもそも自由な場なのですから。」
「なんか、ここまで徹底していると、すがすがしいというか、笑ってしまいます。」
「そうなんです。失敗って面白いじゃないですか?だから、記憶に強くのこるのも失敗談。
僕のツアーも失敗とかトラブルとかよく起こります。
もちろん、そうならないように、最大限配慮してもですよ。
自然相手だから、予測不可能なことが起こるんです。
でも、それをどう乗り越えたかとかが一番面白い話として語りつがれる。
それにトラブルをいっぱい経験して、乗り越えてきた人の方が、
経験のない人より信頼できると思いませんか?
だから、僕の旅のファンは、僕がツアーガイドなのに、
誰よりも先に空港のラウンジでお酒を飲んでご機嫌でも、
『太郎ちゃんが酔っ払っているなら逆に安心だわ。リラックスしている証拠よね。』
と言ってくれたり。僕の旅の本質を分かってくれ、それを楽しんでくれているようです。」
「確かに、それは太郎さんの旅の魅力の一つだと太郎旅のファンとして思います。」
失敗してもいい場。傷ついていい場。
それを、あえて、体験しに行く場。それを笑い飛ばせる場。
もし、私たちが魂の修業にこの地球に訪れているのだとしたら、
これほど、本質をつかんだ場所はないのかもしれません。
このインタビューのあと、私は、吉野山の金峯山寺に行きました。ここでは節分に「福はうち、鬼も内」と全国から追い立てられた鬼を迎え入れるのです。なんか、この話とリンクしてはっとしました。
次回もお楽しみに!
※このブログシリーズは「さつきやま森のようちえん」の元保護者で、
太郎旅の参加者でもあるライターの山田詩乃が、読者目線で、太郎さんに今、聞きたい事をインタビューし、まとめたものです。
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