醤油造り体験旅行も終わり、ルール作りもほぼ終わった中高部。
仕込みが終わって・・・2ヶ月、まわりにとっては予想とは違う、でも、
太郎さんにとっては想定内のことが始まっていました。
山田「中高部のルールづくりは終わったんですか?」
太郎: ほとんど決まりました。普通の学校からしたら何でもできる緩いルールです。
詰まるところ、親とのコミュニケーションをとって「同意」を得られるかですから。
ですが、スマホの使い方は家族によって分れましたね。特にネットゲームは。
親が全然、分からないと、イメージだけで、課金とかセキュリティーについて不安があるようです。でも、これも、結局、使い方次第なんで、ちゃんとゲーム会社に勤めている人に話を聞く時間をとるつもりです。
親は不安解消のためですが、子供は効率良く、ネットゲームをクリアする方法を聞けると喜んでいますよ。
山田「知らないと機会損失になることもありますものね。仮にそのご家族が、今はネットゲームを禁止にしても、正しい情報を知った上での判断なら子供も納得でしょうしね・・・。中高部はルール決めが終わったら次は何が待っているのですか?」
太郎:何も、こちらからは動きません。
山田「なにかしらの情報もあたえないのですか?」
太郎:先生や園長として情報は与えません。僕はあくまで、彼らと同等の仲間として
茶飲み友達のような立ち位置で、僕が面白いと思った話はすることがあるかもですが・・。
基本的にこちらからしかけたりしませんし、無理に形にしようともしません。
山田「なるほど、そうすると子供達はどんな様子ですか?」
太郎:じゃれあったり、バスケしたり、絵を描いたり、腕相撲したり、包丁研いだり・・・。
思い思いのことをしています。ただ、本当に大人からみるとたいしたことをやっていないから見ていて、まわりは焦るんですね・・。
スタッフの中からも
「計画を立てさせよう」
とか
「何をやりたいかを決めて、計画書を作って期限を決めてやった方が動くのでは」
とか意見がでるのですが、
僕は
「何もしなくても、退屈の中で、なにか好きを発見するのではないかと思うし、それまで様子をみよう。」
と言っています。
実は、くだらないことの積み重ねが大事なんです。
僕は、200日で600人しかこない山小屋に勤めていた時があったんですが、
平日は暇で、テレビを見たり、その辺ぷらぷらしたり、寝るぐらいしかやることがなかったんです。
そんなとき図書館で本を借りて、読み始めたら、これがいい退屈しのぎになったんです。
毎週10冊本をかりて、蓄積したら5年で図書館2つ分くらい読破しました。
山田「図書館2つ分。すごいですね?」
太郎:山登りだって、人によってはある意味くだらないことかもしれない。はじめは、僕だって、本当に何が好きで登るのかもよくわかっていない。でも、なんとなく、続けていくうちに、人との出逢いがあったり、ものすごく登りたい山が出てくる。
登り方がいろいろあるのも分かってくる。
山のてっぺんを目指して、登頂の達成感を味わったり、
ロッククライミングが好きになったり、
山歩き自体が好きになったり。
植物を見るのが好き、虫が好き、石が好き、途中の食事の時間が好き、降りて温泉に入るのが楽しみ。とか、自分の好きが見えてきます。
同じように子供達も、一見、大人からみれば、くだらない、何もやってないようにみえるけど、
今、やっていることをやり続けた先に、何が本当に好きなのかが分かってくる。
やっていく過程で「面白み」が増えていくんです。
そして、好きな物がみえて、
「これは、やめられないな!」
というものが出てきた時に深く追求することが始まる。
彼らは、今、山をのぼり始めたばかりだから、本当の好きをみつけるまで、僕は、2.3年はかかってもおかしくないと思っています。
混沌とした中で、好きなこと探す時間をとるというのが大事なんです。
「退屈の中でしか見つからない」
とさえ思っています。
だって、やることがあって忙しいと「好き」って見えにくいんです。
退屈をあたえていると好きな事が見えてくる。それは、大人にだってあてはまりますよ。
今、やりたいことをやれる環境を与えることが大事なんです。
食材を美味しくする熟成。その食材に適した環境で正しい条件のもとで寝かせることにより、食材の内部で旨みと風味が増す化学変化が、じわりじわりと進んでいきます。
どうやら、学び舎の中高部はこのようなことが起きているのかもしれませんね。
このブログシリーズは「さつきやま森のようちえん」の元保護者で、太郎旅の参加者でもあるライターの山田詩乃が、読者目線で太郎さんに今、聞きたい事をインタビューし、まとめたものです。
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