【空飛ぶ園長ブログ】新しい時代の歩み その2 ~ 偏見と差別 ~中国での感染が広がり始めた1月。私はペルーに旅だった。出国の時はまだ対岸の火事。帰国のころになると日本でも感染者が出たというくらいだった。私のコロナの始まりは、偏見からだった。日本に帰国した際、早速マスクをつけた。予防のため。さらに、成田空港の荷物を受け取るターンテーブルにいる中国人ぽい人を避けていた。これは予防なのか、差別なのか。その線引きはなかなか難しい。偏見や差別ではないと言いきれない自分がそこに居た。彼らを病原菌の様に見ていなかったと100%言える自信は今もってない。特に、1月のペルーでは時差ぼけの対処が上手く行かず、食欲が落ちたこともあり、自分の免疫力についても懐疑的。だからこそ、近づきたくないって言う気持ちが強かった。日本に戻って、ホッとしたのもつかの間。どんどんとやる事だけは目の前に迫ってくる。次にペルーに行くのは3月中旬。その頃には感染が収まっていけばいいという甘い認識もあったと思う。状況が変化したのは、2月中旬。専門家会議が開かれ、アメリカという超大国が日本への渡航制限レベルを上げた時だった。ペルーにいる10歳の少年をお迎えに行かないといけない。いつ、アメリカが日本人の入国制限を始めるとも限らない。準備はまさにすべての事態を想定して、やったことのないことの連続。アメリカが入国制限をした場合、カナダ経由、イギリス経由、ドイツ経由などの必要書類を揃える日々。何故かといえば、10歳の少年と私は親子関係ではないので、第三者との旅行には親の許可が必要だからだ。すべての書類を準備し、世の中のニュースを見た時、早めの出国、そして帰国を考えることとなった。予定を10日ほど前倒しし、出国。ここから、私は1月に自分自身がしたことをブーメランのように体験する。アメリカの入国はいつも以上に緊張した。発生国からの入国を厳しくするという勧告が出ていたから。飛行機を降りるとき、私たち東アジア人がしたことは、なんとマスクを取る事。欧米でマスクをするのは病院にいるスタッフか、病人だけだという。もし、空港でマスクをしていたら、病人として判断される可能性があるときいたからだ。空港ではどんな検疫が待っているのかドキドキの連続。ところが、サーモグラフもなく、検疫担当の人がどこにいるかもわからない状態だった。つまりは、入国審査を含め、何もなかったのだ。日本の入国が甘いという人がいるが、アメリカと比べたらかなり厳格にやっている。頭の下がる思いです。空港の中はというと、マスクをしている人は8時間の滞在で2人だけ見かけただけ。アメリカ人であろう男性と、東アジア系の女性。まったく対策なんてされていなかった。それでも、アジア人に対して目線が厳しい気がしたし、周りに人が寄ってくることもない。まさに私が1月で成田でやった行動そのものだった。嫌そうな顔はされないけど、何となく避けられている感じ。中国人と日本人、韓国人を見分けられる欧米人が少ないのもあると思うけど。人々の偏見、そして差別とまではいかないものがあるんだと思う。ペルーの入国の際に、体調の悪い人は別室で問診をし、病院に送るという厳しい規定があった。ところがこちらも、何もなく。というか、いつもよりスムーズに入国が終わった。なんだったんだ?個人では恐怖を感じ、偏見があったり、差別があったりする。しかし、全体としては全く対策をしない。だから余計に差別感を生むのかの知れない。それが、私がこの2回の旅で感じたことだ。今の社会の一端を見たんだと思う。ちなみに、帰国日にアメリカはヨーロッパからの入国制限を始めた。あれにはドキドキした。本当に帰れなくなる寸前だったのかもしれない。実際にペルーから帰国できなかった日本人もいたし。偏見をしない様に。差別をしない様に。そう教育されている私たち。でも、その教育が全く私には役に立たなかった。この恐怖からの偏見と差別をなくす教育はあるのだろうか?どうしらいいのか?沈黙の理由の一つがこれだった。長い沈黙が始まる前の話。空飛ぶ園長 太郎

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