森のようちえん附属の高等部の説明会がスタートしています。その中で語られる、「教育方針」について今回はお伺いしました。
山田「高等部、説明会がスタートしたんですね?」
太郎:はい、本格的なスタートは来春4月からになると思います。現在、中学部は小学部と一緒に活動しているのですが、4月からは、高等部と一緒に活動したい子は、高等部見習いとして一緒に活動出来るように考えているので、中高等部と呼んでいます。
山田「中学生は子供から大人への階段を上るブリッジシーズンですものね。成長度合いに一番変化が出やすい時だから、自分のタイミングで学ぶ環境を決められるのは画期的ですね!」
太郎:それで、「教育方針」を考えたのですが、いわゆる私立の中高一貫校とも違うし、公立の中学高校とも違うし、今までの学び舎の小学部とも全然違うものができあがりました。
山田「いままでの小学部とも違うんですね?」
太郎:はい、今までは「分離」が指針にありました。
「親子クラス」は、親子の信頼関係を強めながら母子分離をすすめる。
「森のようちえん」は完全な母子分離の体験を。
「小学部 中学部」では他者と自分が独立した別の存在であると分かる。
と。
今の小学校では、軽度発達障害が問題になっていますが、僕からすれば 診断うけてないだけでみんなあると思っています。
先生の話を聞いて分かる子供、本を読んで分かる子供、人に教えて分かる子供、学び方は様々なのに、特定の学び方を押しつけるから問題になるんです。
まわりと自分が違うのが当たり前と分かれば何も問題ありません。
でも、分離を受け入れることは怖いんです。そもそも出産で1回目の母子分離が行われ、トラウマに残るぐらい人は自分と世界が分離される恐怖を味わっています。
山田「なるほど、人は分離に対しての恐怖が先天的にあるけど、学び舎では、その分離が自然と受け入れられるように自立できるプログラムがされていたということですね。」
太郎:ところが、中高等部では「統合」を指針に置くつもりです。
山田「ベクトルが真逆になるんですね?」
太郎:いろんな人に相談して、中高等部で自分のやりたいことをつきつめると、教育方針が真逆になるって気がついたんです。
ちょっと、僕の心の流れを説明しますね。
森の学び舎の小学部では“自己肯定感”が育まれます。ですから、“自己否定感”は他の環境にいる子より少ないと思います。
でも、これから社会にでていくのに他者からの評価にさらされて、“自己否定”が出てくる可能性がある。
それに、中高部から入ってくる子の中には“自己否定”に既にさらされてきた子もいるかもしれません。
いずれにしても、
中高では これからおきてくる“自己否定”を受け入れる練習をしていく必要があると思っています。
そもそも、“自己否定”は悪くなくて、それがあったから社会が発達してきた訳ですね。
自分には価値がない
自分が愛されていない
自分は一人ぼっち
自分は欠けている
このうちどれか一つでもあると、認められるために寝る間を惜しんで勉強したり、働いたり、しがちになります。
特に、学生時代は、「価値がないと感じる恐怖」から逃れようと、クラスでトップをめざし、 仮にトップをとれて褒められても、次は学年トップ、塾で全国トップと高みを目指す。
「恐怖」から行動していると、どこまでいっても「安心」できなくなります。
「恐怖心」は無理に対抗して克服しようとすればするほど、「恐怖心」はだんだん大きくなっていくんです。
山田「独裁者のモデルですね。成功したらしたで、どんどん、猜疑心が深くなって、追われる恐怖を感じる。」
太郎:といって「恐怖」から逃げたら逃げたで、そんな自分を「自己否定」しますから、
大事なのは「安心、安全」です。
僕が考える高等部のプログラムでは
- NVCやコネクションプラクティスといったコミュニケーションの学びで
自分の気持ちとつながることを学んでもらう
- 東洋医学の脈診などから鍼灸師さんに体から出ているメッセージを学んでもらう
(例えば、右肩がこると肝臓と関係していて、それが怒りの感情と関係しているとか)
- 性教育 自分の体のことを他者に話せるし、自分の体とつながる
- 円座 自分がつながっている 他人が自分とより深くつながっていく
を用意していて、ありのままの自分ってなんだろうと考えたり、ありのままの自分をだせ足り出来る場。安全な空間と仲間を体感してもらおうと思っています。
山田「自己否定している自分を言えると、軽くなりますものね。自分だけでないって思えるし、安心して自分を出せる場って貴重ですね。」
太郎:そういう体験をしていると将来、社会にでたときに、安心な場をつくれる人になるんです。
結果、人とつながっていける。
「統合」が出来るようになるんです。
山田「なるほど。自己否定から起きる恐怖から他人を蹴落とす競争の負のスパイラルがおきるんだから、安心、安全の環境を与えれば、人にも安心安全を与えられるようになって、人とつながれるようになると言うことですね。
どうして、そういう発想ができるようになったのですか?」
太郎:性教育を取り入れたことで、僕の心が軽くなったのが大きいですね。
普通に父兄やスタッフと性の話をできるようになった。信頼出来る人に話せるようになった。
性の話って、自分の体のことなのに、タブーですからね。
これも、いわゆる“自己否定”です。こんなこと話すと嫌われるとか、人間関係が壊れるのではと思う代表格です。
それが素直に話せるようになったら、自分の弱さを受け入れてくれる人ができるので、より自由に生きていける。
信頼する人に弱さを出せる人を人は応援してくれるんだと分かったんです。
この中高部設立の流れがそう物語っています。
現役の日本人学校の先生と話したら、
世界中の日本人学校とつながっている方で、
どこの国の日本人学校の子とでもオンラインで
つながれるようになったとか。
元池田市長が中高等部の顧問についてくれて高島市と交渉しやすくなったとか。
説明会の案内を一回、SNSで出しただけなのに、いろんな人がシェアしてくれて、
定員が16名のところ10名まで予約が埋まったとか。
“自己否定”を受け入れると運がよくなるんですよ。
人とつながれますからね。だから、教育方針は「統合」。
この感覚を子供たちにつかんでもらいたいんです。そうすれば、社会に出ても
幸せに暮らせる準備が整うと考えています。
なるほど、母子分離から始まって、自立、違いを認め合い、自己肯定感をしっかりはぐくんだら、こんどは、成長とともに育つ自己否定を受け入れられる安心、安全な場を提供して、人とつながれ、応援される人を育成していくということですね。
この、画期的な教育方針。是非、教育委員会や文部科学省に伝わって、一般にもとりいれられていったらいいのにと思うのは私だけでしょうか?
このブログシリーズは「さつきやま森のようちえん」の元保護者で、太郎旅の参加者でもあるライターの山田詩乃が、読者目線で、太郎さんに今、聞きたい事をインタビューし、まとめたものです。
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