2020年5月

【空飛ぶ園長ブログ】新しい時代の歩み その3~ 情報の渦の中で ~帰国してから、毎日の様に同じニュースが繰り返される。感染者数、追えない感染者、政府の対応の不備、感染した有名人の謝罪。SNSでは、本当かどうかも分からない情報に一喜一憂しながらのコメント。本当に踊らされる。そんな状態に私もなっていた。少しでもいいニュースが無いか。一気に世界が変わるニュースがあるんじゃないか?そんな気持ちで、出てくることのないニュースを待っている気がする。学び舎の経営が厳しい時、明日になったら急に援助してくれる人が現れるのを期待していたときに似ていた。それでも、その期間は長すぎた。あるときから、自分で情報を集め始めた。受け取るだけでなく、真実がどこにあるのかを求めて。そうなれたのは、ある事実を知った時と、偽のニュースを見た時。国民への30万円の給付が動き出し、最終的に10万円の給付が決まる。これにメディアも、SNSも批判を浴びせる。世界で一番の対策かどうかは調べていないが、様々な批判が毎日入ってくる。ペルーのガイドに、連絡して、ペルーではどうなっているのかを聞いた。ペルーでは企業への支援は特になし。国民への給付金もなし。年金を払っている人はそこから前借が出来る。というのが、4月中旬に教えてもらった回答。給付金を出しているのは、一部の国なのかもしれない。その可能性に気が付いた。人は、かけている所は良く見える。子どもたちを例に出すとよくわかる。本ばかり読んでいる事もがいるとする。するとその親はこういう「あの子は他の子と遊ばなくって心配なんです」本に全く興味を示さない子どもがいる。でも友達と良く遊ぶ。その親はこういう「うちの子本を全く読まないんです」人は、出来ている人と、出来ないことを比べ、そこを評価する。日本より早く給付を決めた欧米を見て、出来ていない自国の政府を攻める。そもそも、同じ土俵に立っている訳ではない。今までの法律があるからそうなっている。その法律を作ったのは、国会議員。それを選んだのは国民。そこは関係ないのかな?ちなみにペルーの法律にこんなものがある。選挙に行かないと罰金!!そのおかげで投票率は100%まではいかないものの非常に高い。そして、国民は政治の話に非常に熱心だ。10万円もらえるって言うことを前向きにとらえるも、後ろ向きにとらえるも、それは個人の自由。ただ、誰かに責任を押し付けるのは別。もう一つ、偽のニュース。私は上高地に10年間住んでいた。その上高地のニュースが流れた。確か4月20日くらいだったと思う。その日の上高地の人の出と、去年のゴールデンウイークの人の出を比較していた。映像だけ見たら、その日の上高地は全く人がおらず、ゴールデンウイークの方はすごい人でだった。それを見た人はこう思うだろう。「観光地は大変だな」事実は違う。4月20日はまだ開山前。バスすら動いていない可能性がある。通年マイカー規制のある上高地への手段は路線バスか、10km以上歩くかだ。人がいなくって当たり前。休園中のディズニーランドの中の映像を取って、今日は人がいませんって言っている様なもの。それも、信頼の厚いテレビ局が流したニュースだ。本当に、情報を確かめて流したのだろうか?それから、いろいろ考えるようになった。友人から、トランプ大統領はいい人だと言われ。思わずその人を疑いそうになった。でも、私はトランプさんにあったこともない。知っているのはニュースの中だけだ。そもそも、アメリカ人の半分が投票して選んだ人だ。5月に入ってから、トランプさんとロバートキヨサキさんが書いた本に出合った。そこには、聡明でアメリカとアメリカ人を本当に心配しているトランプさんがいた。ニュースは、トランプさんが作ったものではない。でも、この本はトランプさんが作ったものだ。どちらが本当なのかは、明らかだ。本人が言っている事を直接聞ける本が信頼できる情報源。あんなにも他の人を思える人だったんだってびっくりした。インターネットが発達して、SNSができて。まだまだ、私たちはその扱いの初心者。正しい情報を取る難しさを実感した。世界中が混乱しているから見えてきたもの。自分にとって真実とは、自分の中にあるものだ。外から来ているものではない。自分の感情も自分の中からくるが、それが正しい情報に結びついているかは分からない。だって、未来の事を心配して「恐怖」の感情が来る事があるでしょう。真実=感情とはならない。自分の中にある真実。それにまずはしっかり向き合うことが大切だ。周りの情報に流され、感情が暴走しない様に。自分の真実を知ることが、私の新しい時代への一歩となった。空飛ぶ園長 太郎

さつきやま森の学び舎Instagramはこちら

【空飛ぶ園長ブログ】新しい時代の歩み その2 ~ 偏見と差別 ~中国での感染が広がり始めた1月。私はペルーに旅だった。出国の時はまだ対岸の火事。帰国のころになると日本でも感染者が出たというくらいだった。私のコロナの始まりは、偏見からだった。日本に帰国した際、早速マスクをつけた。予防のため。さらに、成田空港の荷物を受け取るターンテーブルにいる中国人ぽい人を避けていた。これは予防なのか、差別なのか。その線引きはなかなか難しい。偏見や差別ではないと言いきれない自分がそこに居た。彼らを病原菌の様に見ていなかったと100%言える自信は今もってない。特に、1月のペルーでは時差ぼけの対処が上手く行かず、食欲が落ちたこともあり、自分の免疫力についても懐疑的。だからこそ、近づきたくないって言う気持ちが強かった。日本に戻って、ホッとしたのもつかの間。どんどんとやる事だけは目の前に迫ってくる。次にペルーに行くのは3月中旬。その頃には感染が収まっていけばいいという甘い認識もあったと思う。状況が変化したのは、2月中旬。専門家会議が開かれ、アメリカという超大国が日本への渡航制限レベルを上げた時だった。ペルーにいる10歳の少年をお迎えに行かないといけない。いつ、アメリカが日本人の入国制限を始めるとも限らない。準備はまさにすべての事態を想定して、やったことのないことの連続。アメリカが入国制限をした場合、カナダ経由、イギリス経由、ドイツ経由などの必要書類を揃える日々。何故かといえば、10歳の少年と私は親子関係ではないので、第三者との旅行には親の許可が必要だからだ。すべての書類を準備し、世の中のニュースを見た時、早めの出国、そして帰国を考えることとなった。予定を10日ほど前倒しし、出国。ここから、私は1月に自分自身がしたことをブーメランのように体験する。アメリカの入国はいつも以上に緊張した。発生国からの入国を厳しくするという勧告が出ていたから。飛行機を降りるとき、私たち東アジア人がしたことは、なんとマスクを取る事。欧米でマスクをするのは病院にいるスタッフか、病人だけだという。もし、空港でマスクをしていたら、病人として判断される可能性があるときいたからだ。空港ではどんな検疫が待っているのかドキドキの連続。ところが、サーモグラフもなく、検疫担当の人がどこにいるかもわからない状態だった。つまりは、入国審査を含め、何もなかったのだ。日本の入国が甘いという人がいるが、アメリカと比べたらかなり厳格にやっている。頭の下がる思いです。空港の中はというと、マスクをしている人は8時間の滞在で2人だけ見かけただけ。アメリカ人であろう男性と、東アジア系の女性。まったく対策なんてされていなかった。それでも、アジア人に対して目線が厳しい気がしたし、周りに人が寄ってくることもない。まさに私が1月で成田でやった行動そのものだった。嫌そうな顔はされないけど、何となく避けられている感じ。中国人と日本人、韓国人を見分けられる欧米人が少ないのもあると思うけど。人々の偏見、そして差別とまではいかないものがあるんだと思う。ペルーの入国の際に、体調の悪い人は別室で問診をし、病院に送るという厳しい規定があった。ところがこちらも、何もなく。というか、いつもよりスムーズに入国が終わった。なんだったんだ?個人では恐怖を感じ、偏見があったり、差別があったりする。しかし、全体としては全く対策をしない。だから余計に差別感を生むのかの知れない。それが、私がこの2回の旅で感じたことだ。今の社会の一端を見たんだと思う。ちなみに、帰国日にアメリカはヨーロッパからの入国制限を始めた。あれにはドキドキした。本当に帰れなくなる寸前だったのかもしれない。実際にペルーから帰国できなかった日本人もいたし。偏見をしない様に。差別をしない様に。そう教育されている私たち。でも、その教育が全く私には役に立たなかった。この恐怖からの偏見と差別をなくす教育はあるのだろうか?どうしらいいのか?沈黙の理由の一つがこれだった。長い沈黙が始まる前の話。空飛ぶ園長 太郎

さつきやま森の学び舎Instagramはこちら

【空飛ぶ園長ブログ】新しい時代に向けての歩み その13月に休園措置を取った学び舎。気が付けば、2か月以上の時間が立っていました。この間、日々何もできない自分に葛藤する時間でした。2か月悩んで、やっと新しい時代にむけての確固たるものが出来たかなって思ったら、やっとブログを書く気持ちになりました。ニュースを見ると、「感染者数」「死者数」「海外の話題」 「給付金」「休業補償」そして何よりも心に引っかかったのは子どもたちと保護者の事。この状態を楽しめるならいい。楽しめない人も多かったんだと思う。そう言うものを見た時、私の思考は止まってしまい、深い淵に入った感じがしていました。恐怖というよりは無力感と言ったものが私を包んでいました。出口の見えない未来に、今何を伝え、子どもたちと歩んでいけばいいのか?支えてもらいながら、ゆっくりと復活をしてきたのかな。このブログはどのくらいのボリュームになるか分かりませんが、ゆっくりと話をまとめながら綴っていこうと思います。同時に、この内容を動画にもしてみようかなとか。結論から言うと、 「生きる力」を定義したって感じかな。脱線をしながら、書き進めていこうと思います。不変の原理はないかもしれないけど、幸せになるためにはどうしたらいいのかはある程度同じのような気はしています。楽しみながら、最後のお家時間を過ごしたいと思います。空飛ぶ園長 太郎

さつきやま森の学び舎Instagramはこちら