【空飛ぶ園長 太郎のつぶやきコラム】学び時は人それぞれ。子どもが学ぶ瞬間に出会すのを待つ大人には忍耐が必要。学び舎では特にそうだと思う。周りの子と比べていけば、特にそう思うだろう。公立の学校に行っている子が掛け算をやる時、学び舎の子どもは遊んでいる。公立の学校に行っている子どもが理科の実験をしている時も、学び舎の子どもは遊んでいる。そう、常に遊んでいる。表面を見て周りと比べたら、こんな評価が来そうだ。楽をしている。遊んでいるだけ。勉強していない。逆から見てみるとこうなります。学び舎の子どもが自分の感情に向き合っている時、公立の学校の子どもは、黒板と向き合っている。学び舎このどもが友達と2時間も話し合いをしている時、公立の子どもたちは多数決をしている。どっちがいい?どっちが子どもたちのためになる?それは大人が勝手に評価して決めていることだと思う。学び舎では、自分の心と向き合うこと。周りの人の心と向き合うこと。自分のやりたいことをするために行動を起こすことをを学んでいます。ある学び舎の女の子が時計の勉強をしました。きっかけは、キッザニアでアトラクションに遅刻してできなかったことが悔しかったから。悔しい気持ちが起こったのをきっかけに、時間を知れば、もう遅刻しないって言う(自分に必要な)ことがわかって。だから30分ほどで時計の勉強終了。学ぶきっかけは、自分の中の感情に気がついて、必要なものが何かをわかるところから始める。それが学び舎の勉強のきっかけ。何歳だからこれをやるではない。だから学び舎の大人は忍耐が必要。その感情が起こるのをひたすら待つ日々だから。私の小学校の時の先生は、勉強の漢字の意味をこう教えてくれた。「勉強の勉の字の力の部分は、大人が力づくでやるから。強は「しいる」。勉強は力づくでしいること。」と言っていた。その先生にとって勉強ってそう言うもんだったんだろうな。私の心にその言葉が残って、勉強を嫌いになった時期もあった。極端な先生だったのかもだけど(笑)学び舎のお米を炊いてくれる男の子。別に誰に強いられるわけでもなく、週に2回お米を美味しく炊いてくれる。約束したわけでもない。でも彼はシクシクとそれを繰り返す。今では私よりも上手に炊くようになった。その彼の薪割りをする姿を、彼のお父さんが見てこんなことを言っていた。「彼はもう大丈夫です。」 どうしてそう思ったのかはわからないけど。きっとそうなんだと思う。勉強は強いられてやるものではない。私はそう思っている。何か感情が起こって、学びたいって思った時が学び時。学校に行ったら全てのことを知れるわけではない。学び舎に来たからすべてのことを知れるわけではない。ただ、見ていてわかっていることがある。子どもが学び時を選ぶとすごく深く理解するってこと。それも飛びっきり早いスピードで。空飛ぶ園長 太郎 【ここから宣伝】さつきやま森のようちえんのたんぽぽクラスは現在空きがあります。気になる方は1月13日以降に見学と説明会にいらしてください。問い合わせ先morino-youchien@eggs-nature.net年末年始は返信が遅くなることがあります。ご了承ください。
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