小学部にカリキュラムがないというと驚かれる。
もちろんようちえんにもない。
カリキュラムがないと不安なのは大人。
子どもたちには不安はない
何かを決めないと子どもは学べないのではと不安になるのは大人。
小学部の子どもたちは勝手に学んでいます。
今日、この記事を書こうと思ったのは、あるFacebookの投稿を見たから。カリキュラムがあるなしに対しての賛否両論。
それができたら理想だよね。
でもそれで大丈夫?
みたいな感じ。
子どもたちの実例を出しても納得してもらえない。だって、私というフィルターを通してしまうから。
一番いいのは見てもらうこと。それに限る。
ただ、うちの子どもたちは社会と同じ仕組みで動いている。カリキュラムのない生涯学習。
社会に出て、仕事をこなしていくとき、そこにカリキュラムはあまりない。最近はマニュアルがないと動けない人がいっぱいだけどね。
自分に何が足りないかを考え、そして学びを考えていく。そして成長する。これって人財だよね。
でも、カリキュラムで育ち、マニュアルがないと動けない人は、その枠の中でしか成長しない。私に言わせれば人罪。
日本の教育がどうのとかいうのではないと。自分で考えることが大切ってことを伝えたい。
人は誰しも幸せになりたいと思っている。思ってますよね?
いい大学を出ないと幸せになれないんですか?
うちの息子たちに聞くと、毎日幸せだそうです。
そう、幸せは知識量ではない。まして勉強ができるから幸せなんてこともない。
うちの息子たちはまだ小学生とようちえん生だから。
子どもだから幸せなんだよっていうのもおかしい。
仕事してないから幸せなんだよっていうのはもっとおかしい。
世の中の仕組みなんだよって言ったら、世の中は不幸せを生む場所なんですかってことになる。
話が逸れました。
カリキュラムがない。
それは大変なこと。だって自分で学ぶことを決めていかないといけない。
先日長男と行った図書館。借りてきたのは野球の本。最近ハマってるんだよね。投げ方を研究して。バットの振り方を勉強する。しかもニヤニヤしながら。
学ぶことが好きなんだよね。子どもって。
うちによく外国人が泊まる。前回くらいから、英語をよく話すようになった長男。別に教えていない。ドラえもんの英語の本を熟読して。私や妻が英語を話すのを聞いているだけ。
英会話スクールにいくわけでなく、家内留学中(笑)
彼は、ゲームがしたいらしい。ゲームを貸してもらうために英語を話している。必要なだけしか話さない。
それでいいと思う。
子どもたちが大人になった時にどんな世の中になっているのだろうか? 果たして日本に住んでいるのかもわからない。もしかしたら火星にいたりして。
そんな時に必要なことはなんだろう。自分で幸せになるためにどうするかを考える力かなって思う。最近はこれを生きる力とかって言ったりもする。
カリキュラム、マニュアル。
確かにあると便利な時もある。でもすべてがいいというわけではなくデメリットもある。
カリキュラムがないことのデメリットもある。嫌いなことをしない大人になる。つまりは私のように。
私はカリキュラムの中で生きてきた。でもその中で学んだ英語は全く使わず。30歳を超えてから海外に行って必要だから話したら身についた。
そして今。普通にはないことをしている。
エコツアーで世界中を飛び回る。しかも行きたいところだけ。行きたい人とだけ。
オルタナティブスクールを作る。つまりはようちえんと小学部。自分の子どもたちのために作った。
施術をしている。旅の時に参加者が疲れると感動できないから。
私の人生にカリキュラムはない。
でも、決めていることはある。
「好きなことしかしない」
その姿を子どもたちにも。大人たちにも見て欲しいって思っています。
本当に、心の底から言って欲しいから。
「好きなことだけして生きていきな」ってね。
誰にでもできるよ。
だって、俺にできたんだもん。
資格は、運転免許しかないし。
英語だって最近話せるようになった。スペイン語は変な言葉しか教えてもらってないし。中国語は漢字で意味をとることしかできない。アラビア語に至っては、もうお手上げ状態だね。
大金持ちの家に生まれたわけではない。
じゃあ、なんでできるんだ?
それは好きだから。
命かけていいくらいに思っている。
私には命をかけてやるべき仕事がある。
でも、そんなに力入ってなくて、いい感じで。
よく遊び。
その中でよく学ぶ。
それでいいんじゃない?
そこにカリキュラムは存在しない。
どうやったら私はもっと成長できるのか。それは自分しかわからないから。
子どもも同じだと思う。
今必要なことを自分で学べる。
手助けが必要って思っているのは大人のエゴかもしれない。
そんなこと言ったら、教育に関わる方に怒られるかな?
私は、教育者ではないかもしれない。
でも、子どもたちにも聞かれたら一生懸命考えて、無理なら答えられる人を探す。そして子どもと一緒に成長していく。
子どもたちが、私の師なのかもしれない。
話はまとまりませんが。
そんなこと思ってみました。
園長 たろう
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