【空飛ぶ園長 太郎のつぶやきコラム】2020年 あけましておめでとうとざいます。新しい年の初め。なにを書こうかなって思っていました。やっぱり、いい話がいいよなとか思ったり。ふと、少年時代の私の話を書こうかと思いました。なんでかって? 今とあまりに違うからです。小学校の時にやった適正テスト。どんな職業に向いているか?ってやつ。 介護とかがいいって書いてあったな。小学校の時、ずっと学級委員長をやったりしていて、まあ優等生だったし。東京ラブストーリー見て、サラリーマンになりたいなって思った。理由はあんな風にデートってもんをしてみたいってだけ。当たり前のようにサラリーマンになるって思っていたわけです。私の人生があわる一つ目の出来事。それが、体験塾との出会い。「レオぽっくる」という名前のその場所が私のその後の人生を大きく変えるんです。その場所に出会ったのは、5年生の終わりくらい。友人から「遊びの会があるから行こうよ」と言われて行ったのが始まりです。最初はなんのことかわからなかったけど、とにかく楽し場所でした。親にすぐに「入りたい!!」と伝えて、入塾させてもらえました。最初に入ったクラスは英語。と言っても教科書があるわけでもなく、ただ遊んでいるだけ。そしてすぐに山登りのクラスにも参加。あれが12歳の時だから、私が自主的に山を登り始めて、今年で33年になります。日本人の次に続けてること。日本人も辞めれますからね。そこでは、田んぼをやったり、みんなで宿泊合宿みたいなのに行ったり。とにかく遊びまくりました。毎月山に行って。化石が掘りたいって言ったら、自分で調べて企画すればいい。学び舎の原型の一つがここにあります。中3まで在校期間で、それ以降は適当な時に顔を出す。高校生になったら山には連れて行く側として企画したりして。高校生になって激しくなった親との喧嘩。まあ、反抗してましたよ。そんな時、家出先としてよくそこの先生の家に行ったな。逃げ場があってよかった。学校では勉強をして、体験塾では遊びまくって。本当にいろいろ遊ばせてもらった。本気で遊ぶってことを教わったな。今でも私が心に決めているのが。「レオの先生に羨ましがられる生き方をしよう」です。あのおじさんがじたんだして悔しがるような生き方をしようって思っています。そんなおじさんが亡くなってだいぶ経って。でも今でも心に住んでいる。あの人はしぶといな。私の師の一人。あそこで糸の切れた凧は育ったんだなって思います。空飛ぶ園長 太郎 【ここから宣伝】さつきやま森のようちえんのたんぽぽクラスは現在空きがあります。気になる方は1月13日以降に見学と説明会にいらしてください。問い合わせ先morino-youchien@eggs-nature.net年末年始は返信が遅くなることがあります。ご了承ください。

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